続き

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2) 1874年以降の政治
* 明治政府の急激な近代化政策への反動②
ー士族の不満爆発
ー西郷隆盛・板垣退助,政府を去り、異なった対応策をとる 
板垣と西郷、どっちの対応策が政府をびびらせるか,いざ勝負!

<板垣退助(土佐藩出身)の場合>
 これからは武力ではなく言論で、世の中を動かすべき
自由民権運動を始める(1874年~)
目標:憲法制定・国会の開設
・ 民撰議院設立の建白書を政府に提出(1874年) ← 却下される
・ 髙知で運動を進めていく

<西郷隆盛(薩摩藩出身)の場合>
政府の急激な近代化政策に不満爆発の士族達をまとめて、鹿児島で武力蜂起(ほうき)
→西南戦争(1877年)を指揮,敗れ、自害

* 西南戦争失敗の歴史的な意味
 武力で事態をかえる時代は終わり、言論による抵抗へ

* 自由民権運動の広まり(1880年代前半)
1880年 国会期成同盟を結成 国会開設を要求
1881年 政府10年後に国会を開くことを約束(国会開設の勅諭)←民権運動の一応勝利?

・政党の誕生
 自由党と立憲改進党が結成される
  

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